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2002年 8月 26日 (月)

放送スケジュールの関係もあって毎週というわけではないが,日曜日の晩は昨日(25日)のように NHK アーカイブス を見て過ごすことが多い。ここで再放送される(当初主に1960年代~70年代に放送された一連の)番組を見ていてしばしば思うのは,今のテレビ番組はうるさすぎるということだ。これにはもちろん BGM 等の音声的なものも含まれるが,とりわけ感じるのが画面,主として字幕スーパーの量だろう。

今現在放送される多くの番組は,ニュースにしろワイドショーにしろ,とにかく字幕が多い。一部のバラエティ番組のように通常とはまた別の特殊効果として字幕を用いているものもあるが,ほとんどは音声の補助という本来の役割として付されるものであり,このような“親切な”字幕のおかげでたといテレビの音量を下げていても番組のおおよその内容がわかるほどである。しかしその“親切”さは視聴者の目と耳に「これでもか,これでもか」と情報を押しつけまくり,視聴者はそのように流れ込んでくる情報を受けるのに精一杯だ。そういう意味では逆に昔のテレビ番組は“不親切”であったということもできようが,“不親切”であるがゆえ視聴者である私たちは「見逃すまい,聞き逃すまい」として番組を食い入るように見ることになろう。そして視覚的にも聴覚的にも適度な“間”が与えられることで,番組を見ながら視聴者が自らの考えを巡らすこともできる。

そうだ―― いつのころからテレビは視聴者をして自ら考えせしめないメディアになってしまったのか。もちろん現在でも深く考えさせるような番組がまったくないわけではないが,大半はやはり情報過多になっているのではないか。そしてテレビ・ショッピング番組に顕著なように,視聴者たる消費者に考える暇(いとま)を与えないために,むしろそのような現在のテレビの特質を十分に活用している番組もある。

結局テレビの本来的機能・役割は,文字・影像(静止画・動画)・音声という溢れんばかりの情報を処理して提供するというそこにあるのであって,現在あるような番組の形がそれを発揮しているといえるのだろうか? だとしたら昔の番組はそれを発揮できていない未熟なものだったのか? ――昔のソースを見ることは,こんなことをも考えさせてくれる。

見たもの・聴いたもの


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