2003年 6月 21日 (土)
すでにお知らせしたように,去る 11日 に書いた「“春の祭典”の 5連符のナゾ」については私の高校の吹奏楽部 OB の ML においていくつか参考になる意見ないしコメントをいただいている。今日はその内容を掻い摘んでご紹介しよう。この件に関しては,私の日記を読んで少なからず関心を抱いた方もいたようで(特に,pazap というバンドのドラマーである すぎもと氏 は “パザ日誌” においてその旨述べておられる。),これからご紹介する内容はそうした方がさらに考えを深める上でも有用であろうと思われる。なお,以下に掲げるメールの送信日時はいずれも日本標準時(JST)で,また引用中の強調はいずれも関堂によるものである。
まずは,自身大学において声楽を専攻している現役音大生(のくせに私より年輩に見える)のI氏から早速反応があった(12日 2:25:23 送信)。彼は日頃からよく発言・投稿している,ML の最もアクティヴな参加者の一人であるが,今回も期待どおりすぐに反応してくれた。
〔オペラや声楽曲においては,歌詞によって 5連符を 2+3 や 3+2 のように奏する(歌唱する)場合が多いが〕器楽作品である春の祭典についてこの 5連符に言葉の意味があるとは考えにくいですし、器楽科の友人に今確認したところ、オーケストラでは連符は忠実に等分するのが基本だと言っていました。
と言うことはこの場合考えられるケースは、まずひとつにストラヴィンスキー自身がここを 2+3 のつもりで書いたが、様々な事情で(直筆譜がきたなかった、写譜屋がまちがえた)楽譜が間違って出版されてしまったと言う可能性があります。こういった場合、慣例で演奏の場合は直して演奏されますし、出版元は間違いがあった部分を直して出版し直すことは希です。…〔略〕…
もう一つの可能性として、ストラヴィンスキー自身が初めは 5連符のつもりで書いたのが、これ自体が彼の勘違いで後に本人によって改訂されたか、ストラヴィンスキーの研究家によってこれは 2+3 で演奏されるのが正しいという見解が出された場合です。…〔略〕…そういった理由で作曲者自身、もしくは後の研究者によって改訂がなされた場合は、多くは改訂版の出版がされるので文献および楽譜資料を詳しく調べていくとその辺の事実が分かるかも知れません。
私が所有しているスコアには “Revised 1947. New edition 1967.”
とあり,楽曲自体も改訂版でなおかつ出版での版も改まっているようであるから,前者にいうミスというのは考えにくい。しかし後者(とりわけ強調箇所)の可能性は多分にある。後述するS氏の情報もそれを窺わせるものである。なお,I氏自身は 「現在手元に資料がない時点で分かるのはこれくらいのことですが、……時間があれば大学の図書館を調べるか、指揮科の人に聞いてみます」
とつけ加えてくれているので,今後の情報にも期待しよう。
続いてK氏が次のような見解を寄せてくれた(12日 11:56:30 送信)。
ストラヴィンスキイの場合、記譜上の拍子(4分の3など)は論理的に導かれた数字であるだけで、強拍や弱拍の位置を示す音楽的な意味がない場合も少なくないですよね。たとえば「春の祭典」に 4分の11なんて小節がありますが、これは全て同じ音圧で11回四分音符を鳴らすだけですし〔。〕ですから、〔例の〕箇所も、純粋に同じ音が 5回続くだけの 5連符であると解釈するのが妥当だと思います。
では、なぜ 2+3 のように演奏されるのかと考えると、そこには“緩急”の問題が絡んでいるのではないか、というのが僕の考えです。…〔略〕… 5連符に続いて 3連符がありますよね。物理的な音価は、当然 5連符の方が長くて、3連符の方が短いわけです。音価が短くなるというスピード感を 5連符の中で表現しようとすれば、5連符中の 5つの音は当然同じ長さではなく、徐々に短くなる。それが、2+3 風の表現につながっているのではないかと。……ただ、……感覚的に分割してしまうことが多いので無意識のアクセントが 2+3 のようについてしまっているだけなんじゃないかなぁ、と思うわけです。あと、当該小節を普通の 3拍子で指揮しているだろうこととも無関係ではないでしょう。
K氏はさらに次のようにも述べている(13日 15:42:53 送信)。
何となく思いついたことですが、当該部分以降で動機として使われているのは、「タタタ・タン」という 8分3連+4分音符の音形だったでしょうかね? だとすれば、問題の 5連符は、その 3連符を産み出すきっかけなわけで、その意味でも内部で加速していく感じ自体は妥当性があるのではないでしょうか。
この“加速感”の表現という見解は,私としてはかなり合理的な説明であるように思われる。ただ,あまりにもきちっと 2+3連符で演奏している,より具体的にいうと 4分の3拍子の 3拍目に 5連符中の 3音目をきっちり合わせていたり,あるいは 5連符中の前2音をマルカートやスタッカートのように奏しているようなものについては,“加速感”という意味からも外れてしまうのではなかろうか。これは結局,K氏の指摘する 「無意識のアクセント」
によるものなのだろうか。まだなお疑問は残る。なおK氏(と仮名にする意味もないが……)もまた,そのウェブ日記 “音楽にまつわる覚え書き” にてさらに情報を得ようとしている旨述べており,こちらとしても期待せずにはいられない。
他方この間にS氏が伝聞ながら次のような情報を寄せてくれた(13日 3:34:06 送信)。
件の個所、昔〔ある指揮者〕からバレエの振り付け絡みの慣習で 2+3 になっているとアンセルメが言ってたらしいとの話を聞いたことがあります。
これは大変興味深い。エルネスト・アンセルメといえば“バレエ・リュッス(ロシア・バレエ団)”(ディアギレフが主宰。作曲者とも関係が深い。)の指揮者を務め,“兵士の物語”等多くのストラヴィンスキー楽曲の初演を手がけた人である。もしかしたら 2+3 はアンセルメ以降のいわば“通説”なのだろうか。また,先述のI氏は歌詞を伴う場合を引き合いに出してくれたが,“春の祭典”は(単なる管弦楽曲というよりは)バレエ音楽であり,その意味においていずれも演劇的要素を含むものであるということがどうやらここに関係しているようで,それもまた興味深い点である。
なおS氏からは,後に 「ゲルギエフの演奏を今朝聞いたのですが、5+3 で吹かされていました。(吹いているというより吹かされているように聞こえる)」(13日 16:00:20 送信)
との情報もいただいた。これはこれで是非聴いてみたいものである。
――というのが主だったところだが,いかがだろうか。この点については,まだまだいろいろな事実がありそうで,またいろいろな解釈ができそうであり,上記のようにさらにいくつかの情報が寄せられるものと期待される。これをご覧の他のみなさんにおかれても,何か見解があれば(上記のいずれに与するというものでも)是非お寄せいただきたい。
見たもの・聴いたもの
- The Lost Episodes ― Frank Zappa (CD: Rykodisc/RCD 40573)

