Twitterでつぶやき

これは Twitter(ツィッター)というウェブ・サービスです


2004年 4月 24日

昨日読み終えた 新聞力(青木彰著) から,特に印象に残った点を一つ

「『過剰な』 匿名報道 ―― ジャーナリズム衰弱を懸念」 と題した 1997年 5月 26日付の文章(152頁)は,「最近の新聞報道では、『出版社社長(故人)』 『担当役員』 『常務理事』 『元職員』 といった肩書きだけで“顔”の見えない人物や名なしの団体がやたら目につく。」 として,報道,とりわけ新聞報道における匿名の濫用を危惧している。

私としては、報道における人権尊重を軽視するつもりは毛頭ない。しかし匿名の乱用には、①新聞の取材、報道は、本来広く人権を守るための活動であるはずなのに、書かれる立場の人権を守ることだけに矮小化されているきらいはないか、②匿名だからということで、取材の意欲と綿密さに欠けていないか、③書かれる側からの抗議や提訴への対応の煩わしさから、安易に匿名を選ぶ傾向はないか、④人権尊重のための報道マニュアルは必要だが、それに頼りすぎる“マニュアル・ジャーナリズム”の落とし穴にはまっていないか、などの懸念を抱いているとだけはいっておきたい。

青木彰 『 新聞力』 (東京新聞出版局,2003年) 153頁

新聞とテレビの違いこそあれ,かつて私が指摘したもの と本質的に同じ問題だろう。上に引用した氏の懸念(というより分析)は的を射ており,今後ますますその傾向は強くなっていくのではなかろうか。

閣僚経験者の親族に関する週刊誌記事が差し止められんとした際に“表現の自由”を御旗に抵抗するのは大いに結構だが,返す手で青木氏の懸念するような似非人権尊重としての匿名報道(映像・音声処理も含む)でお茶を濁しているようでは,ダブル・スタンダードと嗤われても致し方あるまい。

見たもの・聴いたもの


.