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2004年 9月 4日

自分が教へたいテクストでなくて、どうして教育の情熱が湧きますか。そして教育なんてあんな面倒なこと、情熱の裏づけがなければしつかりとやれるはずがないんです。

丸谷才一 『ゴシップ的日本語論』(文藝春秋・2004年) 70頁

筆者は教科書検定制度,すなわち教育に直に携わる者が自分で教科書(テクスト)を選べない制度を批判していうが,これは教育者一人ひとりへの戒めとしても通用する。

実際,教育は面倒だ。しかし情熱はそれを厭わない。逆にいえば,情熱なくして教育はほとんど成り立たない。「楽そうな仕事だから」 などという理由で教育を業としているようなヤツは,クソ食らえだ(百歩譲って,最初の動機はそれであっても仕事をしていくうちに情熱が湧いてきたのであれば,まあよしとしよう。)。

翻って,教科書に係る制度以外にも,個々の教師の情熱を殺ぐシステムは,少なからずあるといわざるを得ない。「授業に係ることをすべてマニュアル化して,誰が教壇に立っても同質の授業が展開できるようにする。」 などという妄言をかつてどこかで聞いた記憶があるのだが,まさしく噴飯ものだ。それだったら機械にやってもらえばよい。そもそもが 「面倒」 な教育も,機械ならきちんとやってくれるだろう。もっとも,それこそ情熱なき教育になってしまうだろうけど……。

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