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2012年 4月 18日 (水)

すっかり時間が経ってしまったが,去る 3月28日(水)に なんば紅鶴 で行われた “これまでの音楽とこれからの音楽” というイベントに出演(?)した。その際に僕が話したことの概略をまとめてみたので,ここに掲載しておこう。

前提

著作権の目的となるもの、すなわち著作権法で保護されるものは「著作物」である。「著作物」とは「思想又は感情を創作的に表現したもの」と定義されている(著作権法2条1項1号)。創作的な表現を保護するための権利が著作権だ。

逆に言うと、表現でないもの、例えば「アイデア」や「仕組み(システム)」などは表現ではないので保護対象にはならない。なお、表現は固定されることまでは要求されていないから、例えば音楽を即興で創作して演奏した場合、それが録音されていなくても、また楽譜にされていなくても、立派な表現で著作物だと言える。また、著作権という権利の発生には手続きを要しない。創作がなされれば(完成しなくとも)その著作物について著作権が発生する。

現代音楽の表現

現代音楽も表現である以上は「著作物」として保護される。もっとも現代音楽にあっては、奇抜な作品について、それが「表現」なのか「アイデア」なのか判然としないものがしばしばある。以前 “これ音” で取り上げて紹介した作品を例に「表現」と「アイデア」の混同(マージ:merge)を見てみよう。

David Cunningham の “Error System (bagfgab)” は、「一定のフレーズを繰り返すのだが、その最中に演奏を間違えた場合は爾後その間違えたとおりを繰り返していく」というアイデアに基づいて表現がなされる作品だ。

Christian Marclay の “Record without a Cover” は、「もともとスクラッチ音が記録されているアナログ盤レコードを、保護袋や保護ケースなしに運搬することでさらに傷がつき音が変わる」という作品。また同じく “Footsteps” は「足音やノイズが記録された何枚ものレコード盤を床に広げて、その上を足で踏みつけて歩くことによりやはり傷をつけてさらなる音を作り出す」というもの。これらは表現を作出するための手法がアイデアによって示されており、それを実際に行うことで表現が成り立つ。表現に至るまでには「運搬中に傷がつく」とか「足で踏みつける際に傷がつく」という偶然の要素が大きく、その根拠となるのは先述のアイデアなのだ。

究極はかの有名な John Cage の “4′33″(4分33秒)” で、その演奏時間の間「演奏者はまったく音を出さない」というものだ。ここまで来るとほとんど表現はアイデアに直結する。例えば私が、Cage のアイデアを拝借して「演奏者はまったく音を出さない」という “2′16″(2分16秒)” という「楽曲」を作ったとしたらどうだろう? これは表現の「複製」ないし「翻案」として著作権を侵害するか?

表現の創作者は誰か?

アイデアと表現のマージにおいてもう一つ問題となりうる点があるーーそれは「創作者が誰か」ということだ。

著作権を原始的に取得する者は「著作者」すなわち「著作物を創作する者」(著作権法2条1項2号)だ。前述のように「著作物」は創作性のある「表現」でなければならないから、単にアイデアを出したに過ぎない者は著作者たりえない。

アイデアが表現に直結し、あるいは極めて近いものである場合、その表現に創作的に関わった(寄与した)のが誰なのかが判然としなくなることがしばしばある。前回 “これ音” で披露された あな のオリジナル作品のうち、例えば “生きてる” の場合はどうだろうか? 想像するに、まず「現代詩で表現をしよう」というアイデアがあったのだろう。また「ある特定のフレーズを決めて、それを分割してその間にさらに音や言葉を挿入することでどんどんフレーズや文章を作っていく」という基本的なコンセプトが決まり、さらに「当該特定フレーズとして “生きてる” を選択決定する」という過程もあったであろう。そして本番でのアドリブを交えた「具体的表現」ということになる。

これらの過程で、基本的なアイデアやコンセプトを提案したことは「表現に創作的に寄与した」ことになるだろうか?ーーこれは否定的に解さざるを得ない。アイデアやコンセプトがかなり具体的で実際の表現者(演奏家)に対してもそれが具体的に指示されていたならばともかく、抽象的なものに過ぎない場合は「創作的表現をなした」とは言い難いだろう。

いずれにしても、現代音楽の楽曲・作品にあってはアイデアと表現がマージすることが多く、そうしたケースでは上記のような問題を孕んでおり、実際に裁判になってみないとわからないといういわゆる「ケース・バイ・ケース」の事例が多々あるものと思われる。

以上。

今日の Twitter から

  • 00:00 臥薪嘗胆だな……。
  • 09:38 例えばこれね → http://j.mp/bYKODR RT @sekikos: そのクセ「わが国の著作権法は最先端への対応改正がもっとも早い」とか自慢げに言っちゃうんだよね。
  • 09:43 へぇー俺様 Tumblr は2009年2月8日から使い始めていたんだなぁ。
  • 17:22 たびたび言っていることだけど,「わかりやすい授業」っていうのはある意味で「わかりにくいことをわかったような気にさせる授業」なんだよな。
  • 17:27 俺様はしばしば「授業がわかりやすい」と言われるが,先刻の発言の可能性があることもちゃんと学生に注意喚起しているよ,自虐的に(笑)。 RT たびたび言っていることだけど,「わかりやすい授業」っていうのはある意味で「わかりにくいことをわかったような気にさせる授業」なんだよな。
  • 17:49 え,なに? 絵文字は SoftBank だけ仲間はずれになるの?
  • 18:10 普段140字以内の文章を書くのに慣れていると,いざ「400字程度で紹介文書け」とか言われて戸惑う(半分嘘ですが)。

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