Twitterでつぶやき

これは Twitter(ツィッター)というウェブ・サービスです


2012年 10月 9日 (火)

Path 起動画面
Path のプロフィール画面

ここしばらく(画面でもわかるとおり9カ月ほどの間)Path という SNS を利用していた。自分の発言(考え),写真,動画,(自分の視聴している)音楽や映像,場所(スポット)などを投稿し,それらのモーメント(moments 瞬間)を,FacebookTwitter といった他の SNS よりも限られた範囲の友人たちと共有する,というものらしい。ユーザー・インターフェイスが秀逸で各種の投稿をするのが面白く,またホーム画面には他の SNS と同様に自分と自分の友人のモーメントが時系列(タイムライン)で並ぶが,文字列ばかりというのではなく,画像は画像として,音楽や場所はリンクを伴うなどして表示され,見ているだけでもなかなか楽しい。さらには他の人たちの投稿に対するリアクションも,コメントを残すことはもちろん,「いいね!」の一種だけではなく「笑い」や「驚き」などの数種のエモーティコンを使って示すことができる。この辺りもまた他の SNS と差別化される点だろう。しかも他の SNS と連携させて,Path から FacebookTwitterTumblr および Foursquare のそれぞれに同時投稿もできるのだ。

実際私も,友人をリアルで会ったことのある人だけに限定しつつ(それゆえに友人申請を断ってしまった方も数名ある。ご容赦願いたい。)それなりに愉しんで使っていた。Facebook 等に連携させての投稿はもちろん,ちょっと FacebookTwitter で言うのも憚られることなども気軽に投稿することができたし,友人たちの投稿も,変に気を遣うこともほとんどなく追うことができた。

ところが,だ……サーバーのトラブルがしばしばあって,しかもそれが非常にストレスフルなのだ。もとよりこういう SNS やウェブ上のサービスにとってはサーバーのトラブルは不可避だろうから,それを云々するつもりはない。ただ Path の場合はなぜだか特にストレスになるように思われて仕方ない。そこで,自分なりにそのストレスの原因がどこにあるのか考えてみた。

SNS にあっては通常そのサーバーから各ユーザーがデータを取得するものと思われ,おそらく Path も同じような仕組みであろう。だが(ここからは素人目での推察でしかないのだが)Path の場合は,ローカルのデータとサーバーのデータを混ぜながら適宜「同期」しているのではなかろうか。すなわちユーザーが自分で投稿したものはとりあえずローカルのデータとして表示され,他の友人たちの投稿のデータをサーバーから取得した上で時系列に並べ直して表示しているような感じがする。

すなわちこれが,トラブルの際のストレスを増大させる要因ではないかと考える。他の,例えば Twitter なら(最近はほとんどサーバー・ダウンすることもなくなったが),ほかの人のタイムラインやプロフィールも見ることができなければ自分の投稿もダメで,いわゆる “クジラ” が表示されるだけという状態になる。逆に言えばこれによって否応なく「ああ,ダウンしているんだな」と知らされるので,なんというか諦めもつく。しかしながら Path の場合は自分の投稿はとりあえず自分には(投稿がきちんとできたように)見えている。ユーザーは「他の SNS に連携させたのに流れないなぁ」とか「この数時間俺しか投稿していないのかなぁ」とか「他人が他の SNSPath から連携させたリンクの画像等がちゃんと表示されないぞ」という感じでしかほとんどトラブルを察することができない。果たしてそこでトラブルに気づいても如何ともし難く,Path のサーバーが復旧してからようやく友人たちの投稿がどっと流れ込んできて(しかもそれが正しく時系列になっていないこともしばしば)ゲンナリしたり,自分が他の SNS へ連携させたはずの投稿が何時間も後になって当該 SNS に流れてきたりしてガックリするのだ。各種の投稿を「モーメント」などと称して見せるのを特徴としているのに,肝心のその「瞬間」を逃さざるを得ないような仕組みになってしまっているのは大変残念だ。

サーバー・ダウンなどのトラブルをなるべく起こさないことはもちろん肝要なのだろうけれども,トラブルが起こった場合の見せ方というか,トラブル時にユーザーにどう振る舞わせるかというのも,これまた大事なのではないかなと思った次第だ。とにかく,上記のような仕組みの欠点でストレスを感じざるを得ない以上,しばらく Path の利用を見合わせることにした。先般のバージョンアップで iPhone の写真の中に勝手にアルバムを作る仕様にしたことももの凄くイヤだしね。

この記事へのコメント [1件]

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asatoyasui
Posted on 2012-10-09, 03:29:23 JST

仰ることが的を得ていて、同意するほかありません。特にモーメントが時系列に表示されないというのは本末転倒で、Path愛用者の私もとてもストレスになるところです。また勝手に作られたアルバムフォルダを削除しても、Pathのカメラを使う限り自動的にフォルダが作成され続けるのも嫌になるところです。。。しかし私はもうしばらくこのままPathの顛末を見届けたいと思っております。


2012年 10月 16日 (火)

有償著作物等の著作権等を侵害する自動公衆送信を受信して行う私的使用目的のデジタル方式による(知情)録音・録画行為に罰則を科すこと(いわゆる「違法ダウンロード罰則化」)を内容とする119条3項を盛り込んだ改正著作権法(平成24年法律43号)の一部が施行されて半月が経った。これまでのところ “見せしめ” としての逮捕・起訴等はまだなされていないようだが,施行日に前後して レコード製作会社のサイトで場合によっては脅しとも受け取れるような表示がなされたことを訝る声が少なからず上がる など,ネット・ユーザーを中心にそれなりの騒動にはなっているようだ。

この法改正自体(その内容はもとより立法経緯も),そしてこれに伴う一部権利者らの事前のロビー活動や,上記表示のような改正後の動きなどに対しては,「顧客を泥棒扱いしているのか」などという声がしばしば聞かれる。なるほど本来著作権・著作隣接権は「複製」「公衆送信」といった 利用 に及ぶのであって,「読む」「見る」「聴く」といういわゆるエンド・ユーザー(顧客)の 使用 行為には及ばない。しかし2年前から施行されているいわゆる「ダウンロード違法化」著作権法改正(平成21年法律53号)と今般の罰則化は,事実上エンド・ユーザーの行為を規制しようとするものである(もっとも条文上あくまで対象とされているのは「デジタル方式の録音・録画」という「利用」行為であり,形式的には上記原則に従っているが,実際にはエンド・ユーザーが権利侵害を問われることになる点に留意すべし。)。これをもって「顧客を泥棒扱いする」と評するのはあながち大袈裟とも言えないだろう。

ところで,この「顧客を泥棒扱いする」という権利者等の態度なのだが,実は今に始まったことではなかろうと思うのだ。言うなればこれは,「著作権等を侵害する行為をなすと思しき一部の不届者が現れるのを防ぐ目的で,それ以外の多数の善良な一般消費者の行為まで禁じる」という趣旨なのだと思われるが,従来からこのような扱いを我々は受けてきた。例えば音楽のコンサートやライヴ,演劇等の興行に足を運ぶとしよう。そのチケットの裏や上演前のアナウンスでは,ほとんど例外なく「録音,写真撮影は禁止」という旨の警告がなされている。絵画等の展覧会でも同様で,ほとんどの場合が「撮影禁止」だ。これらは言うなれば「リアルの世界において顧客(観客)を泥棒扱いしている」ことにほかならない。しかし我々が当然と思っているこれらの仕打ちは,実は欧米ではほとんど見受けられないという。


上記から原寸大の画像にリンクしています。

以前他大学の非常勤講師でご一緒するフランス語のある先生がおっしゃっていた逸話がある。フランスでの音楽コンサートのチケットの注意書きには,「三脚を立てての写真撮影は禁止」という旨が書かれているそうだ。これは逆に言えば「三脚を立てるなどして他の観客の迷惑になる状況でなければ,写真撮影自体は構わない」という趣旨である,と。またこれとは別にグラフィック・デザインを業としている方に伺ったところによると,欧米では展覧会にて「撮影禁止」が謳われることがあまりない,と聞く。もちろんそのようにして撮影した写真等を商業利用するなどの行為が許されないのは当然だろう。しかし個人で愉しむことはむしろ妨げられない。それどころか最近は,例えば SNS などへの投稿・掲載までをも積極的に認める場合さえあるとも言う。

伝聞ばかりではないかと思われる向きもあるかもしれないが,実際にそうした様子を確認できる媒体もある。引用の画像をご覧いただきたい(画像からのリンクを辿ることによって大きな表示で見ることができる)。これは DVD “Minimum-Maximum” (Kraftwerk) からの一コマだが,観客の何人かがスマートフォンやデジタルカメラ等で撮影している様子が見て取れる。また Tumblr というサービスを中心に出回っている Rock Concert Audience Evolution” と題する画像 でも,2000年代以降のコンサートの観客が当然のように写真や映像を撮影している様を読み取ることができる。思えばこうして撮影等された映像・音源から海賊版(海賊盤)が出てくるリスクは当然あろう。しかしそれらが実際に出てきたら確固たる手段をもって止めれば足りるのであり,一人ひとりの観客が思い出として何らかの記録をすることに寛容であることは,エンドユーザー(顧客)を泥棒扱いせずに信頼しているという点で,成熟した社会を象徴しているかのように思われる。

かつて我々の社会はもっとおおらかで現在の欧米に見られるように個人的な愉しみには寛容だったのかどうか,はた(もしそうだとすると)それがいつの頃からか厳格になってしまったのか,僕は浅学にして知らない。しかし,万に一つ誰かが泥棒になるのを防ぐために一般大衆たる万人を泥棒扱いしてしまうのが,今や我々の「文化」になってしまっているような気がして仕方がない。社会の情報化が進み,情報倫理とかリテラシーが向上しつつある(もとより大衆の側もそうした成熟をアピールする必要があるのだろうが)現代にあっては,いわゆる権利者たちは,成熟した一般大衆がより倫理的に振る舞うことをもう少し期待してもいいんじゃないかとも思うのだが,残念ながら冒頭に述べたような昨今の動きを見るにつけそれはなかなか叶いそうにない。むしろ少々寂しい「文化」が我々の社会で成熟しつつある。


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