タモリ倶楽部リマインダー

投稿者: | 2023-06-03

タモリ倶楽部” というテレビ番組がある……いや、かつてあった。主たる出演者は、番組名にも冠されているとおり、タモリさん。ハウフルス(番組制作会社)および田辺エージェンシー(タモリさんの所属事務所)との共同制作で、テレビ朝日が地上波で毎週金曜深夜(土曜未明)に1982年から40年あまりに渡って放送してきたが、テレビ朝日の本放送は今般2023年3月末(正確には4月1日未明)をもって終了した。

関堂は、札幌の実家住まいだった比較的初期の頃からこの “タモリ倶楽部” を好んで視聴していたところ、その後大学生となり関東地方に住んだことで本放送を堪能していた。ところが2005年に大阪に赴任して驚いた。“タモリ倶楽部” が金曜深夜に放送されておらず、他の曜日の丑三つ時あたりに、しかも本来の放送より3カ月から4カ月も遅れて放送され、場合によってはプロ野球中継放送延長の煽りを食って放送があったりなかったりという有様だったのだ’(なお2019年3月までの一時期には、他番組と一括りにされて放送されており、電子番組表を使った録画では前半を飛ばさないと “タモリ倶楽部” を見られないという酷さであった)。

関西一円を放送圏とするいわば準キー局である朝日放送(現・朝日放送テレビ=ABC)がなぜこのような仕打ちを続けていたのか、理由はわからない。「もともとキー局であるテレビ朝日と仲が悪い」だとか、「朝日放送の看板番組である “探偵!ナイトスクープ” がテレビ朝日で虐げられていることへの意趣返しだ」とか、いかにももっともらしい推測もあるが、本来の放送より3カ月以上遅れで、しかも曜日と時間をころころ変えて放送し続ける(そこまでするのならむしろ放送しないでもらったほうがよほど諦めがつく)などという愚行に合理的理由などあろうはずもなく、今となっては単なる嫌がらせとしか思えない。

そういった次第だったので、関堂は自身の Twitter で “タモリ倶楽部リマインダー” という投稿を2011年8月からするようになった(当該投稿一覧)。開始当初は、自分が見逃したり録画し忘れたりすることのないように、自分用のメモたるまさに「リマインダー」として投稿していたのだが、実は関堂の自宅ではその後まもなくいわゆる「全録」タイプのレコーダーを導入したことによって、見逃す心配はまったくなくなっていたのである。ただそのレコーダー導入に前後して、Twitter でフォローし合っているリアルの友人・知人(特に関西在住の)から「“タモリ倶楽部” のツイート、実は見ていて役に立っているよ」とか「サブタイトルもツイートに入れてほしい」などと言われたことがあった。また、同時期に某メールマガジンにおいて「タモリ倶楽部リマインダーを投稿しているツイッター・アカウント」というような感じで紹介されたこともあったようで、なんだか引くに引けなくなったというのもある。そして誰かしらがこうやって発言していくことで、テレビ放送、とりわけ民間放送のそれが地域によって別々にされていて、ある地域の人々はその放送区域以外の放送を(局自身がネット配信でもしてくれない限り)思うように視聴できないという、ネットでコンテンツを享受しうる今日にあっては馬鹿げたこの状況を知ってほしかったというのもあった。

さて10年以上に渡って関堂が続けてきたこの “タモリ倶楽部リマインダー” は、関西での約3カ月遅れの放送もどうやら最終回を迎え、いよいよその役目を終えようとしている。タモリさんもまもなく80歳にならんとしているし、41年に渡って続いた長寿番組とはいえ未来永劫続く訳はなくいつか終了するということは、もちろんわかっていた。しかしあらためてその終了の時を迎えようとしているいま、感慨深いものがある。

“タモリ倶楽部” について、再放送(BS波・CS波でよくやる「一挙放送」も)やネットでのアーカイヴが望むべくもないことは重々承知している(2020年のいわゆるコロナ禍では例外的にやむを得ず再編集の放送もあったが)。いつだったかの新聞記事(?)で読んだ記憶によれば、タモリさんが “タモリ倶楽部” を開始するに当たり局や制作陣と約束したのは「反省しない」ことだったという。番組制作後の「反省会」などはもちろん、過去の放送を振り返って検証するなどまったくなし、「やったらやったで終わり」というその姿勢・スタンスこそが “タモリ倶楽部” なのだと視聴者もよくわかっている。だから、「反省」材料となってしまう再放送やネット配信は絶対ないのだろう。かくいう関堂は “タモリ倶楽部リマインダー” でたびたび「テレビ朝日は TVer 対応を!」と言っていたが、実はそれが無理筋であるということは承知の上だったのだ。

そんな我々ファン一人ひとりの記憶の中だけで保存される “タモリ倶楽部”、ここからは、関堂の個人的な思い出のエピソードを少々紹介したい。“タモリ倶楽部” では、とりわけ1992年以降 “空耳アワー” が名物コーナーとなり、それだけでもしばしば他のメディアに取り上げられることがあるが、ここではあくまでメイン・コンテンツ(?)のエピソードを扱う。


思い出のエピソード三選

まず思い出すのは、かなり昔(おそらく1980年代か90年代)の井上陽水さんがゲストの回で、「神田 “神保町” のアパートの一室で “人望” のない我々が語り合う」というテーマの放送だ。実際どんな内容の話をしていたのかはほとんど覚えていない。井上さんとタモリさんがだらだらと喋って、時折井上さんがあの調子で突如話題を振ったりして、ほんとうにとりとめのない内容だったと記憶しているが、そんな “ユルさ” がまさに “タモリ倶楽部” の真骨頂だとさえいまでも感じるほどだ。

もう一つは「芸能人顔写真麻雀」で、なぎら健壱さんが主たるゲストの回。放送局がキャスティングの際などによく使うとされる “日本タレント名鑑” に掲載されている芸能人の顔写真を麻雀牌に貼ってそれで麻雀をする、という企画ゲームものだった。氏名(芸名)に数字が入っているのを組み合わせたり、同じ事務所に所属している者を組み合わせたりするなどして役を作っていくのだが、参加者の誰だったかが「これ、どれ一つとして関連性がなければ国士無双ですよね?」と言ったのに対し、なぎらさんだったかタモリさんだったかが「絶対なにかしら関連性見つけてやる!」と言ってノリノリで麻雀に興じていたのが最高に面白かった。ロケ場所は当時のテレビ朝日社屋の屋上だったと記憶している。

そして最後に、「芸能人サイン色紙かるた」を挙げよう。かつてフジテレビ社屋があった河田町の蕎麦屋に数多掲げてあった芸能人のサイン色紙をかるたの取り札に見立てて(もちろん実物のサイン色紙ではなくコピーだったであろうが)、読み上げられた情報から芸能人を特定して当該芸能人のサイン色紙(取り札)を取って競う、というやはり企画ゲームの回。サインは崩し字で書かれているものが多いので、芸能人を特定できてもどの札なのか当てるのがひと苦労で面白い、という訳だ。主たるゲストは伊集院光さんだった。「これを取れば逆転優勝」(よくあるパターン)とされる最後の勝負で読み上げられたのが堀内孝雄さんだったところ、伊集院さんが色紙に書かれたフレーズを指しながら「この “ガキの頃のように” って堀内孝雄じゃなかったっけ……」と躊躇しているのに対し、タモリさんが「それは谷村新司だよ」と言うのを受けて伊集院さんが「あ、そっか……」と手を引っ込めるや否やタモリさんが当該札を勢いよく取って優勝した、というオチ。タモリさんはこの手のゲームにはいつも真剣に取り組んで優勝していたが、この回はその手段も含めてタモリさんの面目躍如だった。


いかがだろう。“タモリ倶楽部” ファン各位にもさまざまな思い出の回があるはず。いつか遠い将来、なにかしらの事情変更等によって、“タモリ倶楽部” のアーカイヴが解放されることもあるかもしれない。その日までは、数々の思い出を大切に仕舞っておこう。

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