約10年前から聴力が落ちてきているのは自分でもわかっていた。受け答えに問題があるほどの難聴という訳ではないが細かい部分がうまく聞き取れず、例えば不意に話しかけられてなおかつ想定外の単語を投げかけられたりすると「えっ?!」と聞き返さずにはいられない。そして何より、好きな音楽を聴いても楽しくなくなっていた。一定の年齢になると高音域の聴力が衰えることはよく知られているが、まさにそれ。若い頃によく聴いていた楽曲をいま聴いてもそのころのように聞こえないことに、密かなショックを受けていたのである。
そして、あるテレビ番組をきっかけにさらにそれを強く意識することになった。NHK の “あしたが変わるトリセツショー” で2024年7月18日に初回放送された「難聴かも?聴力低下を放置しない全力対策」だ。音自体はたいてい聞こえているし、健康診断はもちろん耳鼻科で受けるような聴力検査でもそれほど「問題ではない」とされるが、上記で紹介されている「雑音の中では聞こえづらくなる」というのがよくわかる。上記番組では最終的に、「軽度難聴を放置せず、早めに補聴器を使うべし」という方向で結論づけられていた。
その結論自体に異論はない。しかし、補聴器の導入はすこぶるハードルが高い。上記番組で紹介されていたのは海外メーカーのもので、わが国でも一部の眼鏡販売店で取扱いがあることを関堂は確認し、販売店を訪れて同種の補聴器を実際に試させてもらった。確かに高い周波数ほどよく聞こえる(実は、装着した時よりも外した時のほうが「こんなに聞こえていないのか!」とショックだった)。ただ何せ価格が高い。廉価なものもない訳ではないが、高性能の機種は数十万円から100万円もする。しかも一度購入すれば生涯使えるというのではなく、定期的なメンテナンスはもちろん、場合によっては買い換えも必要らしい(その時の販売店の方は、こちらの疑問に対していろいろと親切に教えてくれてありがたかった)。今後の人生を考えるといずれは補聴器をとも思うが、二の足を踏まざるを得ない。
他方それからしばらくして、アップル(Apple)が、そのイヤホン AirPods Pro(正式には第2世代の AirPods Pro =MTJV3J/A= を指し「AirPods Pro 2」と称されることが多いが、ここでは単に「AirPods Pro」と表記する)によって、わが国においても聴覚補助機能を提供するという報道が2024年10月になされた。
それなりにオーディオにこだわっている関堂としては、イヤホンとしての AirPods Pro はそこまで評価はしていない。音質面ではゼンハイザー派だし、耳から白いのが垂れて見えるのは如何とかねてより思ってはいた。しかしこうなってくると話は別だ。「補聴器」とまではいかなくとも「聴力補助機器」が約4万円で手に入れることができるのだから。
この報道に接した際に関堂が期待したのは、現状の補聴器に係るビジネスモデルが変わってくれないか、ということだ。医療機器で消費税非課税とはいえ非常に高額な物を売りつけるというのは如何。だからこそとりわけ高齢者などは「老い先短いのにそんなにお金をかけても……」と躊躇するのだ。開発費・製造費で製品が高額になるのは当然としても、例えば一定期間に一定額を支払うことで使える(場合によっては最新モデルに替えたりメンテナンスもするという)、それこそサブスクリプションモデルを導入してくれないだろうか。AirPods Pro のような製品は、多少なりともその動機づけになるのではなかろうか。閑話休題。
さていよいよここからが本題。最終的な直接のきっかけについては省略するが、関堂も AirPods Pro を購入しようと決意した。家電量販店の通販を利用するなり、あるいは実際にお店を訪れて現品を買うのがより早いのだろうが、ここは Apple に直接注文して刻印入りにした。そして注文から5日後、ようやくそれは届いた。



AirPods は、そのケースを開けるなり近くの iPhone 等のデバイスで認識され、接続を促すことは知っていたが、その画面でもこちらが注文した刻印が入っている(三つ目の画像)。さすがに芸が細かい。アップルの信奉者(悪い意味ではない)は、こういうところが好きなのだろう。早速接続した AirPods Pro を使って聴力の測定をしてみる。

見てわかるように「難聴の可能性はほとんどない」と表示されている。しかし右の図に示されている周波数ごとの値を見てみると、特に右耳は高域の聴力が落ちていることがわかるだろう(実際関堂は、定期健康診断等においてもたびたび「右の聴力がやや落ちている」と指摘されていて承知している)。そして左図の中ほどにあるように、「しかし、聞き取りにくい周波数がある可能性があります」というのが、まさにかねてから関堂が気にしていたことなのだ。そしてこのチェック(検査)結果は、耳鼻科で何度も行っている検査のそれとほぼ一致する。正直言うと「軽度難聴」の判定を期待(?)していたので「難聴の可能性はほとんどない」とされたのはいささか拍子抜けだったが、この機能をすでに試していて同様に「難聴でない」と判定されたことがある人も、いま一度チェック結果を確認してもらいたい。
しかして聴力補助機能を有効にした AirPods Pro を自分の耳に装着。おおなるほど、以前試させてもらった数十万円の補聴器よりはさすがに劣るかもしれないが、聞こえ方はかなり近いイメージだ。

さて、この記事の冒頭に「若い頃によく聴いていた楽曲をいま聴いてもそのころのように聞こえない」と書いたことを思い出していただきたい。そう、いまこそその「若い頃によく聴いていた楽曲」を聴く時だ。まず関堂が選んだのは、ヴァーグナー(Richard Wagner)のオペラ “タンホイザー〔パリ版〕(Tannhäuser [Pariser Fassung])” で、プラシド・ドミンゴ(Prácido Domingo)がタイトル役を歌いジュゼッペ・シノーポリ(Giuseppe Sinopoli)がフィルハーモニア管弦楽団(Philharmonia Orchestra)を指揮した1988年録音のグラモフォン(Deutsche Grammophon)盤だ(日本では当時ポリドールから1989年に発売された)。特にこの序曲の途中(スコアでは練習記号 F)からトライアングルとタンブリンが賑々しく鳴り響く。しかも、序曲と第1幕が切れ目なく演奏されるパリ版では、そのしばらく後にカスタネットが入る。かつて聞こえていたはずのこれらの打楽器が、ここしばらくの関堂にはちゃんと聞こえておらず(カスタネットに至ってはほとんど聞こえない)、本当にショックだったのだ。
しかして AirPods Pro を装着して自宅オーディオ・システムで聴くと……
トライアングルとタンブリンのトレモロが、そしてカスタネットが、聞こえる! これは(控えめに言っても)感動だ! しかもそれだけではなく、これまで塞がれていた高域がよく聞こえることによって、オーケストラの楽器の位置や残響もよくわかる(もちろん若い頃はそう聞こえていたはずだが、残念ながら当時所有していたオーディオはそれほどよくなかった)。実はこの作品にはもう一つカラクリ(?)があって、当時のフィルハーモニア管弦楽団では、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左右に、そしてコントラバスが全体の左側にそれぞれ配置されているのだ(当時の日本盤付属のブックレットでは29ページにレコーディング風景の写真が掲載されており、それを見てもわかる)。
いやとにかく素晴らしい。音楽はずっと好きだったのだから聴き続けていたのだけれども、ここ10年から数年は何となく悶々とした中で聴いていた。しかし AirPods Pro を装着して音楽を聴くと、まるで若い頃に戻ったように楽しく感じられて、どんどん聴きたくなる。音楽熱が再び高まってきたわけだ。
もっとも AirPods Pro についてはまだまだ書きたいこともある。それはまた改めて、ということにするが、とにかく、中年以上の音楽好きには是非一度試してほしい。聞こえづらくなっていることを自覚している人は少なくないと思うが、そのままにしないでほしい。iOS 18 以上が動く iPhone をすでに使っているのであればたった4万円(あえて「たった」と言う)で青春がよみがえるぞ!
記事中に掲げた Qobuz のサンプル再生の2トラック目、ちょうどその打楽器群が演奏されているところだ。