基本データ
- アーティスト:
- Yellow Magic Orchestra
- タイトル:
- Public Pressure
- レーベル:
- Sony Music Direct
- リリース年:
- 1980年2月21日(オリジナル)
レビュー
- 音質 ★★★★★★★★☆☆ (8)
- 曲目 ★★★★★★☆☆☆☆ (6)
- 演奏 ★★★★★★★☆☆☆ (7)
- 雰囲気 ★★★★★★☆☆☆☆ (6)
日本におけるテクノ・ミュージックの祖ともいうべき Yellow Magic Orchestra(イエロー・マジック・オーケストラ: YMO)の通算3作目にして初のライヴ盤。関堂は中学生になったばかりの1981年頃から YMO に夢中になった。それまでも歌謡曲のシングル盤(EP)を自分で買ったことはあったが、本格的に音楽にのめり込んでアルバム(LP)を集めるようになったのはやはり YMO からで、ゆえに本作は関堂が買った初めての「ライヴ盤」ということになる。
YMO は1978年に日本で活動を開始し、その翌年1979年にはアメリカでもデビューを果たす。それを受けて欧米ツアーを敢行、その中の複数の公演の抜粋を収めたのが本作だ。しかし「ライヴ盤」とはいっても LP 1枚こっきりで収録曲は実質8曲、合計45分にも満たず、「コンサートを再現する」にはほど遠い。とはいうものの、本作には十分に意義がある。まず、当時の日本の音楽界では欧米市場に打って出る存在などほとんど皆無だったところ、まして「テクノ」という新しい分野での「日本発」というアピールに対して、欧米の聴衆がどんな反応を示したのかがよくわかる。また当時は、普通の電気(エレクトリック)楽器を用いるコンサートでさえそれなりに大変だったのに、いまとは比べものにならないぐらい性能も低く巨大なコンピューターやシンセサイザーを大々的に使った楽曲の、しかも「ライヴ・ヴァージョン」を供することがどれほど困難であったか……本作からそれが偲ばれようというものだ。そういった意味で、本作の選曲(収録曲数をも含めて)には少々不満があるが、多少割り増しして捉えたい(なお本作収録のコンサートは、後述するギターの音も含めて後にほぼ完全な形で “Faker Holic” と題されてアルバム化されている)。
本作における演奏では、当時からよく知られた重大な問題点がある。この欧米ツアーでは、YMO の正式メンバー3人(細野晴臣、坂本龍一および高橋幸宏)のほかにサポート・メンバーとして矢野顕子(keyboard, vocal)、渡辺香津美(guitar)および松武秀樹(manipulator)が帯同し、本作でも演奏していたのだが、渡辺のギターについては彼の所属レコード会社との契約の関係で収録することができず、特にギター・ソロ部分については後から坂本が別途シンセサイザーでソロを弾いてそれを収めたのだった。渡辺のギターが聴けないことに加えて別途オーバーダビングがなされているという点から、演奏・雰囲気でいささか寂しさを思える。
また、YMO のコンサートでは、各演奏者はそれぞれコンピューターの自動演奏との正確な同期を図るため、外部の音を遮断してヘッドフォンを装着していた。いまでこそさりげなく耳穴を塞ぐインイヤー・モニターが当たり前のように使われているが、当時は耳全体を覆う必要があり、その姿で演奏するのはある意味彼らならではの様子だった。それゆえ彼らは基本的に、観客の反応を聴覚で捉えることができず、勢いポピュラー音楽にありがちな観客とのやりとりは困難になる。そのためもあって、彼らの公演は曲目やメンバーの紹介もせず、淡々と進行するのが一般的であった(テクノ音楽では Kraftwerk もやはり同様に淡々としたステージ進行をしており、熱いロックなどと違ってクールな音楽ジャンルゆえ、というのもあるかもしれない)。いずれにせよ、本作においてはライブの高揚感というのはあまり感じられないものになっている。
本作の音質についても触れておこう。下の画像の周波数スペクトラムは、2019年に Bob Ludwig(ボブ・ラドウィグ)がリマスタリングを施したハイレゾ・データ(96kHz/24bit)による。かつて中学生の時に聴いた際にも(華やかな音を前面に出した他のポップスなどと比べて)なんとなく暗い音作りだなと思ったものだが、確かに90Hzから10kHzにかけてはピークとディップが細かく入り交じっているものの、10kHzを超えたあたりからはなだらかなカーブを描いていてあまり動きがない。その一方で、20kHz超でも後から取ってつけたような人為的な波形になっておらず、このハイレゾ・データが本当にアナログ・マスターから作られたのであろうことを推察させる。ダイナミック・レンジもアルバム全体で7と、最近のポピュラー音楽の音源としては平均的で音圧もまあまあだ。
本作は、上記のようにさまざまな困難や制約の下で制作され、提供されたライヴ盤であったことがおわかりだろう。しかしだからこそ挑戦的で、いまなお「テクノ・ミュージックにおける最初期のライヴ・アルバムの一つ」としての意義・重要性を保ち続けているとも言えるのではなかろうか。